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 伊勢遺跡の変遷
伊勢遺跡は弥生時代後期半ばに突然現れて巨大化し、後期末にはその使命を終えます。実年代としては、紀元1世紀後半から2世紀末にかけてですが、建物の造営状況から見ると、4つの期間に分けて考えることができます。
大型建物の建設と変遷
【時期区分】
弥生時代後期の約200年間は、土器の形式から6つの期間に区分することができます。
伊勢遺跡が栄えるのは、そのうちの 3期〜5期の約100年間で、大型建物が消滅してからも、しばらくは竪穴住居が建てられ、人々が生活をしていました。それも、古墳時代初期には消滅してしまいます。
伊勢遺跡が栄えた3期間を、便宜上、「T期・U期・V期」と呼び、大型建物が消滅し、その後に竪穴住居が建てられた時期を「W期」と呼びます。

時期区分

*各時期に対応して建物群がどのように造営されていったのか、細かくは判りませんが、スタート時から順次と造営され、突如衰退したことが判ります。
【初期(T期)】
伊勢遺跡が扇状地上の微高地に建設された時、
方形区画には、次のような建物が;
 ・主殿(SB-1)の前身建物の建設
 ・祭殿(SB-3)の建設
 ・楼閣(SB-10)の前身建物の建設
 ・小型倉庫
円周部には;
 ・祭殿(SB-7)の建設
 ・大型竪穴住居の建設
が実施されていたようです。主殿も楼閣もまだ小規模ですが、機能的に見ると必要な建物が揃っていたことが判ります。建物の規模から考えて、SB-3が主殿であったかもしれません。
 (注:建物のサイズは拡大して表示しています)
初期
初期の建物構成
【最盛期(U・V期)】
伊勢遺跡はどんどん拡張され、方形区画には立派な主殿、楼閣が建てなおされ、円周部には祭殿が次々と建設されていきます。
方形区画には
 ・主殿(SB-1)の建て直し
 ・楼閣(SB-10)の建て直し
 ・副屋(SB-2)の建設
円周部には
 ・祭殿(SB-6・8・9・12)の建設
がなされ、どんどんと拡張し栄えて行きます。
さらに少し遅れて、円周部に
 ・祭殿 SB-4・5 が増築 されます。
方形区画の建物群が充実するこの頃には、王の居所と思われる大型竪穴住居は姿を消します。
この時が、伊勢遺跡の最盛期です。
最盛期
最盛期の建物構成
【衰退期(W期)】
大型建物が意図的に撤去され、その跡地に規模の大きな竪穴住居が次々と建てられます。伊勢遺跡が消滅したわけではなく、その役目を終えたということで、人々は役目を終えた大型建物の跡地に「新興住宅」として祭殿にも匹敵するような大型の竪穴住居を建てて生活を継続していたようです。
これらの竪穴住居も古墳時代初期を過ぎると無くなっていきます。


   竪穴建物
   大型建物
衰退期
衰退期の建物構成
新期建設時の風景復元想像
V期には、遺跡の南側に新しい祭殿、SB-4、SB-5が建設され、最盛期となっています。
遺跡の南側にあった弥生時代の川を使って材木が筏(いかだ)を組んで搬送され、新しい祭殿を建設する風景を想像復元しました。
最盛期の伊勢遺跡
祭殿建設中の最盛期の伊勢遺跡 (画 中井純子氏)


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