推定される建物群
伊勢遺跡物で発見された大型建物は、規則性を持って建てられています。この規則性を展開することにより、まだ発見されていない建物の位置を推測できる可能性があります。
推定される建物群と実際に発掘して判ったことを対比してみます。
推定される建物群と実際に発掘して判ったことを対比してみます。
建物配置には規則性がある
伊勢遺跡では、祭祀空間の中央部に方形区画があり建物がL字形に配置され、それを取り巻く周辺には円周上に建物が規則性を持って配置されています。
●主殿を中心軸にして対称配列されていた と考えます。
建物位置の推定のために設定した配列規則は
●長径230m、短径210mの楕円上に配列されている
●建物の心柱(一部は推定)間隔は29mと想定する(図面上では28m〜30m)
(ただし、実際に発見されている建物位置を基準として合うように補正する)
●建物壁面が中心に向くように、建物間の軸線が16度ずれる
(SB-7〜SB-12は、図面上では、平均で16度ずれている)
この配列規則で、まだ発見されていない建物の位置を推定したのが下図です。
方形区画の建物配置は軸対象の位置に示しています。一方、円周上配置の建物配置の規則は、少し差はあるもののほぼ等間隔です。発見された建物と建物の間に、上記軸線が16度間隔を目安に等間隔に配置しました。
この配列規則だと、円周上に23棟の大型建物が建つことになります。
南東側のSB-6だけが建物の様式が異なり、そのためか、配置が円周上から少し外れていることを、前で指摘しましたが、面白いことにこの配置規則だと、推定される配置位置に最も近い位置となっています。
【方形区画の建物の配列規則】
宮殿、祭殿などの配置は、中国の様式に習って、一直線上や対称的に配置されることがあります。伊勢遺跡の方形区画内の建物は、発見されたものはL字形配置になっていますが、●主殿を中心軸にして対称配列されていた と考えます。
【円周上配列の建物の配列規則】
また、円周上配列の祭殿群も、見つかっている建物群の配置を見ると、ほぼ一定間隔で中心に向けて建てられていることが判ります。建物位置の推定のために設定した配列規則は
●長径230m、短径210mの楕円上に配列されている
●建物の心柱(一部は推定)間隔は29mと想定する(図面上では28m〜30m)
(ただし、実際に発見されている建物位置を基準として合うように補正する)
●建物壁面が中心に向くように、建物間の軸線が16度ずれる
(SB-7〜SB-12は、図面上では、平均で16度ずれている)
この配列規則で、まだ発見されていない建物の位置を推定したのが下図です。
方形区画の建物配置は軸対象の位置に示しています。一方、円周上配置の建物配置の規則は、少し差はあるもののほぼ等間隔です。発見された建物と建物の間に、上記軸線が16度間隔を目安に等間隔に配置しました。
この配列規則だと、円周上に23棟の大型建物が建つことになります。
南東側のSB-6だけが建物の様式が異なり、そのためか、配置が円周上から少し外れていることを、前で指摘しましたが、面白いことにこの配置規則だと、推定される配置位置に最も近い位置となっています。
● ■:建物配列の推定 |
【配列規則】
方形区画の建物 ・主殿(SB-1)を中心軸に他の建物を 左右対称に配列 円周上配置建物 ・長軸230m、短軸210mの楕円上に 配列 ・建物は中心軸に面して配置 ・建物の心柱間隔は29m |
大型建物を推定して復元すると
【方形区画の建物】
祭殿(SB-1)の中心を対象軸として、既存の建物を東側にも配置し、併せて発見されている周囲の柵列をCGで復元したのが下図です。
方形区画の建物復元図 (CG作成:小谷正澄氏) |
【円周上の建物】
上に記した配列規則で円周上の建物を復元したCGを示します。
円周上の建物復元図(CG作成:小谷正澄氏) |
推定される建物群と実際の発掘現場を比べると
【方形区画の建物】
祭殿(SB-1)の中心を対象軸として、既存の建物を東側にも配置し、細部まで表したのが下図です。東側にも後方の柵列の跡が一部見つかっており、続きとなる東側面の柵列も存在していたと思われます。
方形区画の建物群と発掘状況の対比 |
推定される建物
・SB-2に対応する X−2 ・SB-3に対応する X−3 ・倉庫に対応する X−倉庫 発掘現場から判ったことは (クリックすると結果が 表示されます) |
【円周上 SB-4・5付近の建物】
上で、円周上に存在したかもしれない大型建物の位置を大雑把に推定しましたが、もう少し細かく見てみました。SB-4とSB-5の心柱間隔と、両者の長軸がなす角度を用い、隣接する建物の位置を推定しました。
これが、図のX-4とX-5です。
SB-4・5付近の建物と発掘状況の対比 |
推定される建物
・SB-5に隣接する X−5 ・SB-4に対応する X−4 発掘現場から判ったことは (クリックすると結果が 表示されます) |
【円周上 SB-7・8付近の建物】
SB-7とSB-8の間には、ちょうど1棟分のスペースがあり、ここに未発見の大型建物が存在する可能性があります。SB-7とSB-8の心柱間隔は約56mで、この中心に心柱を有し、両建物の長軸がなす角度を案分する方向に向いた建物の位置を推定しました。これが、図のX-8です。
SB-7に隣接したかもしれないX-7についても、X-8と同じ心柱間隔と角度を用いて、存在していたと思われる位置を推定しました。
SB-7・8付近の建物と発掘状況の対比 |
推定される建物
・SB-7の南側に X−7 ・SB-7とSB-8の間に X−8 発掘現場から判ったことは (クリックすると結果が 表示されます) |
【円周上 SB-8・9・12の延長線上の建物】
SB-8、SB-9、SB-12はそれぞれの心柱の間隔が約30mで、建物の長軸のなす角度は約16度です。この規則に従ってSB-12の北西方向(図では左側)に、未発見の建物を推定しました。それがX-AとX-Bです。実はこの規則に従って未知の建物位置を推定し、平成13年に発掘して発見したのがSB-Aです。狭い面積ながら、建物の柱穴を6個発見しました。全体の発掘が出来ていないので確定は出来ませんが、大型建物の存在をうかがわせます。
SB-12の延長上の建物と発掘状況の対比 |
推定される建物
・SB-12の西側に X−A ・さらにその西側に X−B 発掘現場から判ったことは (クリックすると結果が 表示されます) |
【円周上 SB-5とSB-6の間の建物】
円周の南側(図では右下側)は栗東市となります。この区域にも、円周上に何棟かの建物の存在が推定されます。この区域は、発掘された建物跡と離れており、円周上の建物位置の推定は難しいのですが、配列規則に基づいて推定しました。
SB-5の東側に推定されるX-5は、弥生時代に既にあった区画溝との関係で、その存在は難しいと既に述べました。
SB-6直近の円周上にX-6の建物が推定されます。また、X-5とX-6の間にも4棟の建物の存在が推定されます。
南側円周上の建物の推定 |
推定される建物
・SB-6の近くに X−6 ・X-5とX-6の間にに 4棟 発掘現場から判ったことは (クリックすると結果が 表示されます) |
図から判るように、この区域は区画溝の南にあたります。守山市側でも区画溝の南ではほとんど遺構・遺物が見つかっておらず、区画溝は遺跡の南限のようでした。この事実から考えると、伊勢遺跡の祭祀域は円形ではなく、馬蹄形ということになります。
後世の河道によって破壊された遺跡
伊勢遺跡は野洲川の支流、境川左岸に広がっています。暴れ川と言われる野洲川だけでなく、支流の境川も長い歴史の中で、何度も河道を変えていたようです。基本的には、地形に沿って東から西に向けて流れており、時としてその流路を変えていました。
発掘調査の中で、このような古い河道に行き当たり、遺跡が破壊されているのを見てきました。信じがたいことなのですが、南北方向の大きな河道も見つかっています。
このような、遺跡を破壊した河道の状況を下図に示します。伊勢遺跡の中央部が幅30m近くの川により縦横に破壊されたのは残念なことです。
後世の河道
発掘調査の中で、このような古い河道に行き当たり、遺跡が破壊されているのを見てきました。信じがたいことなのですが、南北方向の大きな河道も見つかっています。
このような、遺跡を破壊した河道の状況を下図に示します。伊勢遺跡の中央部が幅30m近くの川により縦横に破壊されたのは残念なことです。
後世の河道