特殊な竪穴建物
円周上に大型建物が配置された外側の地点で、超大型の竪穴建物が発見されました。一辺13.6mで、床面積は約185uの正方形の建物です。その規模は、方形竪穴建物としては、弥生時代後期では国内最大級です。当時としては、最先端の建築技術が使われていました。
また、伊勢遺跡では、五角形の竪穴住居も多数発見されています。
また、伊勢遺跡では、五角形の竪穴住居も多数発見されています。
国内最大級の超大型竪穴建物
最大級の方形竪穴建物
円周上の大型建物の外側直ぐ近くに一辺13.6mの超大型竪穴建物が発見されました。床面積は185uもあり、方形竪穴建物としては国内最大級です。円周上の大型建物の実に4倍の床面積を持っています。
柱穴配置から、屋内に棟持ち柱を持つ特異な上屋構造を持つ建物でした。
大型竪穴建物の発掘状況 |
棟持柱のある大型竪穴建物 |
中国伝来の先端の建築技術?
【精緻な粘土の焼床(やきどこ)】
この建物は規模の大きさだけでなく、使われている建築技術も国内では他に例を見ない先進的なものでした。この建物の床は約30cmの土をきれいな粘土に入れ替え、叩きしめています。さらに精良な粘土を8cm張ったうえで、表面が赤く発色するほど焼いて仕上げていました。使われている上質の粘土は、この近辺で取れるものではなく、わざわざ取り寄せたもののようです。
このような建築技術は類例がなく、しいて類例を挙げれば中国や朝鮮半島の竪穴住居の床や壁に用いられた「紅焼土(こうしょうど)」と呼ばれる建築技術に似ています。当時の朝鮮半島には、壁や床を意図的に焼くものがあり、伊勢遺跡の大型竪穴建物は東アジアの建築技術の流れを汲む可能性があります。
【日本最古の焼レンガ】
焼床のみならず、この建物の四周の壁には粘土を焼き固めた古代のレンガである「せん」(大きさ約40cm×30cm、厚さ8〜13cm)が並べてありました。中国では漢代に宮殿建築に「せん」と呼ばれるレンガが使われていましたが、韓国を経由してレンガの製造技術が伝わってきた可能性があります。これまで日本では、8世紀に奈良の寺院で焼レンガが初めて使われたと言われており、伊勢遺跡のレンガはこれをはるかにさかのぼるものとなります。
焼床 |
二層の焼床-1 |
二層の焼床-2 |
焼レンガ |
焼レンガ(発見現場) |
焼レンガ(取り上げ) |
想像される建物構造
前述した「家屋文鏡」にも大型竪穴建物が描かれています。また、屋内棟持ち柱建物は、継体天皇陵とされる今城塚古墳で発見された家形埴輪にも見られます。これらの形状より建物構造が推定できます。壁際には壁用の木材を差し込むための溝が巡らせてあり、板材を固定するための柱穴が等間隔に設けてあります。柱は10〜20cmの木材が使われています。
壁際からは、幅約30cmの炭化した板材が多数出ています。 焼レンガは、板材と溝の間に建てられていたようです。
何のための建物?
中国に源流のある建築技術が用いられている、当時としては超大型の竪穴建物であり、一般住居ではなく、特別な建物であることには違いがありません。床は約30cmの粘土で固め、さらに精良な粘土を8cmの焼土で覆い、壁には焼レンガという、防湿を高度に考慮した建物構造から、銅鐸や銅製品、あるいは鉄製品などの製造工房ではないかという見方がありました。しかし、金属製品は出ていません。それで、埋土に微量の金属片や微粒子が含まれていないか、土の洗浄や科学分析をしました。しかし、金属工房の証となるデータは得られませんでした。
発掘時、焼土の上から鉢や壷などの生活土器が同時に出ることから、この建物は家屋文鏡にみる首長の居所、あるいは饗応の祭りを行う「大屋」のような特殊な施設とみられます。広い空間から考えると、共同体の権力者たちが集まって儀式をする場所や今でいう迎賓館のような建物であったかも知れません。
五角形住居
伊勢遺跡では9棟もの五角形住居が発見されています。平面が五角形で、柱穴は5本あり、中央に炉を持ち、東南辺の壁際に貯蔵穴を持っているのが通例です。壁際には周壁溝が見られるのも特徴です。
伊勢遺跡では、遺跡が発見された当初から五角形住居が次々と見つかり、特異な内容をもつ遺跡として注目されていました。その後、滋賀県下では伊勢遺跡例も含めて約20棟の五角形住居が報告されていますが、野洲川流域に多く、とくに伊勢遺跡に集中しています。五角形住居は、伊勢遺跡を特徴付ける要素と思われます。
弥生時代後期の五角形住居は、鳥取県、石川県、富山県などの日本海沿岸地域に多くみられ、建築様式も共通要素が多く、この地域との交流が深かったことが判ります。
時代的には、日本海ルートで鉄の流通が活発化する時期に重なっています。
伊勢遺跡では、遺跡が発見された当初から五角形住居が次々と見つかり、特異な内容をもつ遺跡として注目されていました。その後、滋賀県下では伊勢遺跡例も含めて約20棟の五角形住居が報告されていますが、野洲川流域に多く、とくに伊勢遺跡に集中しています。五角形住居は、伊勢遺跡を特徴付ける要素と思われます。
弥生時代後期の五角形住居は、鳥取県、石川県、富山県などの日本海沿岸地域に多くみられ、建築様式も共通要素が多く、この地域との交流が深かったことが判ります。
時代的には、日本海ルートで鉄の流通が活発化する時期に重なっています。
五角形住居-1 |
五角形住居-2 |